犬ジステンパー

【症状】
 目やに、鼻水、発熱、下痢から痙攣(けいれん)、麻痺(まひ)まで

illustration:奈路道程
 わが家に来て日が浅く、ワクチン接種も済ませていない子犬が、急に鼻水をたらしたり、目のまわりが目やにでショボショボしだしたり、熱っぽくなっていたら、「犬ジステンパーかも…」と考えて、念のため、動物病院でくわしく診察してもらったほうがいい。
 たしかにワクチンの普及によって、現在、犬ジステンパーウイルスに感染する犬は、昔に比べて激減した。しかし、発症すれば狂犬病に次いで致死率が高いといわれる犬ジステンパーの恐ろしさは昔のまま(致死率九十%以上)で、ワクチン未接種の子犬や成犬の感染事例を耳にすることも少なくない。
 犬ジステンパーウイルスに感染すると、通常、四〜七日前後の潜伏期間ののち、からだのリンパ組織に侵入したウイルスが積極的な活動を始め、リンパ球をやっつけていく。からだの免疫を担当するリンパ球が破壊されると細菌感染を受けやすくなり、目やにや鼻水、下痢、肺炎など、二次感染による諸症状を引きおこしていく(足の裏のパッドが硬くなる症状を示すこともある)。同時にウイルスは犬の体細胞を使って増殖し、ウイルスを含んだ目やにや鼻水、唾液、ウンチなどを媒介して、感染が広がっていく。怖いのは、これからだ。
 通常、感染後、四週間前後すれば、体内で増殖をくり返すウイルスが脳神経細胞や脊髄の神経細胞に侵入。顔や手足の筋肉が小刻みに動く「チック」などの痙攣発作や、腰が抜けて、立ったり、歩いたりできなくなる。ついには、肺炎や神経症状がひどくなって死亡するのである。

【原因とメカニズム】
 感染・発症犬の目やに、鼻水、唾液、ウンチなどの飛沫・接触感染
   先にもふれたが、犬ジステンパーウイルスに感染しやすいのは、ワクチン未接種の子犬たち。新たな飼い主宅に来るまでに、どこかでウイルス感染していることも少なくない。また、自宅で飼いだしてから、必要な回数のワクチン接種を済ませないうちに戸外に連れ出し、ウイルス感染した犬と接触するか、ウイルス感染した犬の目やにや鼻水、唾液、 ウンチの付着した物や犬や人に接するかして、知らないうちに感染することもある。
 あるいは成犬の場合、これまで何年も愛犬のワクチン接種を続けてきたのに、「どうせ病気にならないから」と、途中でワクチン接種をやめたあと、どこかで犬ジステンパーウイルスに感染するケースもある。ついでにいえば、成犬で感染した場合、通 常の初期症状がなく、突然、痙攣や麻痺などの神経症状が現れることが多い。狂犬病の予防ワクチンでも、国内飼育頭数一千万頭(推計)の犬たちのうち、ワクチン接種率は五十%以下といわれている。犬ジステンパーワクチンの正確な接種率は不明だが、狂犬病ワクチンより低いと思って間違いはない。
 さらにいえば、一般に、予防ワクチンの有効性は百%ではない。よく知られるように、ワクチン接種とは、弱毒化、無害化された安全なウイルスを犬たちに感染させ、同種のウイルス(抗原)をやっつける「抗体」をつくるためのものである。まれには、個体や犬種によって、ワクチン接種しても、ジステンパーウイルスに対する抗体価があまり上がらず、予防効果 の少ないケースもある(最近の研究で、ゴールデンやラブラドールなどのレトリーバー種では、ワクチン接種後の抗体価が比較的低いという報告もある)。

【治療】
 二次感染を抑え、免疫力を高めて、自然治癒を待つ
   残念な話だが、犬ジステンパーウイルスそのものを退治する有効な治療法はない。同ウイルスがリンパ球をやっつけて、犬の免疫力を低下させ、二次感染による肺炎や下痢などの症状を抑えるために抗生剤を投与したり、弱った免疫力を高めるために猫用のインターフェロンを投与したり、点滴をしたりして、犬自身が体内でウイルスへの「抗体」をつくり、自然治癒するのを手助けするしか手段がないのである。
 病気が進行してチックなどの神経症状が現れても、まれに、ウイルスに打ち勝って死の淵から生還する幸運な犬たちもいる。とにかく、犬ジステンパーは、発症すると致死率が九十%以上といわれるのは、助かる犬たちも少数ながら存在する、ということでもある。
 もっとも、発症後、自然治癒しても、顔や手足が始終ピクピク動くチックなどの神経症状は後遺症として残ることになるが、「命」より大切なものはない。”生還“を果 たした勇者の”勲章“のようなものかもしれない。
 それはともかく、近年の犬ジステンパーは発症しても、目やにや鼻水、下痢、肺炎などの初期症状を示さず、突然、痙攣や麻痺などの神経症状が現れたりする事例も少なくない。そんな場合、まさか犬ジステンパーとも思わず、CTやMRIなどによる画像検査をおこない、はっきりした原因がつかめないままに終わることもある(MRI画像検査では、犬ジステンパーの典型的な脳炎像を検出できることもある)。

【予防】
 ワクチン接種の徹底と抗体価チェック
   予防の基本は、子犬期から老齢期までつねに適切なワクチン接種をおこなうことである。また、子犬期のワクチン接種終了までの期間、万一のウイルス感染の可能性も考えて、むやみに連れ歩くことは控えたほうがいい。さらに、もし心配なら、年に一度ぐらい、かかりつけの動物病院で犬ジステンパーワクチンの抗体価を検査してもらえばいいだろう。
 なお、犬ジステンパーウイルスは、実は、犬やキツネ、タヌキなど犬科動物だけでなく、フェレットやアライグマ、さらにはアシカ、アザラシ、イルカ、ライオン、トラ、ヒョウなど多くの野生動物に感染するウイルスで、愛犬の感染予防は、野生動物を守るためにも役立っている。とくに近年人気のあるフェレットは、このウイルスへの感受性が高く、要注意。フェレットにも使えるワクチンがあるので、動物病院で相談してみるのもいいだろう。

*この記事は、2002年2月20日発行のものです。

監修/戸ケ崎動物病院 院長 諸角 元二
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